柔道、謎の美人、子守・・とりとめもない一日が始まる

謎がある美人というのは

 

 

昨日は、柔道の全日本選手権があった。体重無差別の伝統的な柔道の大会である。録画をしていたので、孫を寝せてからリビングで見ていた。なかなか最近の柔道は盛り上がりがないから、心配している。いろいろ不祥事もあったしなぁと思っているのだが。

オレは柔道も素人なので、あれこれ申しあげる立場にはない。でも、心配しているのだ。それは、オレの成長があったとすればどっかに柔道で培われたものがあるらしいからである。意識しなくても、意識してもそれはあるらしいのだ。

その一つが柔軟に生きるということであった。あったというのは、物事への対処法という意味である。柔軟に対処するのが一番いい。ただし、こいつは限度も当然ある。しかし、オレは他者と真剣に闘ったりはしない。少なくとも表面上は。

そういうのが一番である。闘うのなら表面上と、裏面上というのがあるからである。相手を油断させておいて後で寝首をかくというのもあるからである。剣道は正々堂々というか、すっきりしている。どーも柔道はそうでもないらしい。特に寝技。相手をいかにこちらの寝技の世界に引き込むかというのも、戦法であるからである。実は、オレは寝技が好きである。だからである。こんなことを書いているのは。

これは現役時代の仕事には役に立った。生きるうえで実に良かった。ワケのわからない論法で世の中を渡っている輩はどんな世界にでもいるものであるが、そういう輩の世界に引き込まれなかった。

柔軟に対処できたからである。

だいたいにおいて、相手とオレでは価値観が違う。それを全部一緒にしていたら、身も蓋もない。詳細は書けないからこれくらいにしておくが、今思えば実にいい体験をさせていただいたものである。

だから原理主義者というのは、たとえそうであってもその原理主義であることを広言しないほうがよろしい。原理を知っている人からみたら笑われるのだから。

美人もそうではないか。

謎がある美人というのは楽しいものである。どんな性格をしているのだろうか、思想信条はどんなんだろうか、育ち方はいかがであったのだろうかという謎を持っておられると表面的には実に素敵に見える。(^0^)

ところが、だんだん化けの皮がはがれてくると始末におえない。

性格が悪ければ、がっかりする。しかし、瀬戸内寂聴せんせではないが、化粧のうまい美人ほど性格はいかがなものかと体験上思う。

わははっはははっは。

そんなことはまったくどうでもいい話ではある。

柔道の話から脱線した。いつもだけど。

武道論からみた交通安全教育という原稿を構想しているからなのだが。昨日、古本チェーンから関連図書をまた買ってきたし。

 

さ、今日も孫の子守である。楽しい一日が始まるなぁ。

 

(^_-)-☆